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鍼灸って何だろう?

東洋医学における鍼灸の歴史 - 中国の鍼灸の歴史

およそ世界中どこでもそうであるが、病気は人間の経験する苦しみのひとつであった。仏教によれば人生は「生老病死」の過程である。さらに仏教ではこの世の中は一切皆苦(すべてのものは「苦」、すなわち自分の思い通りにならないもの)であり、この苦はすべての人に平等に訪れる、決して避けられないものである。

さて、その病苦であるが、人間も座して死を待つほど愚かではなかった。中国ではどのような対策がとられてきたのだろうか。

医という漢字のもとは「医に殳に巫」である。この字の下の「巫」は「巫女」のことで、呪術が医療(と呼べるかどうか)であったことを意味する。やがて「医に殳に巫」は「醫」となった。「酉」は酒の意味で、治療に薬物(酒)を使うようになったことをうかがわせる。このように、呪術から薬物療法へと医学が進んでいき、薬物療法も単純な経験による「効く・効かない」の世界から、経験を知識として集積し、薬物の効果・効能の確認、選別・選定などを経て、処方ができあがった。「傷寒論」(「傷寒雑病論」。3世紀頃、張仲景により編纂された)などがそれを載せている。これが時代の波に揉まれ、磨かれ、漢方薬として現在に残っているのである。

では、薬を使わない鍼灸はどのように生まれ、発展してきたのだろうか。

春秋戦国時代

春秋戦国時代の頃書かれたとされる「黄帝内経」(黄帝?とも言われるが、作者不詳)には、現在の中医学の礎となるような理論と、様々な疾患の治療法が記載されているが、その多くは鍼灸に関するものであり、この頃鍼灸治療の原型ができあがったものと推定されている。「内経」には薬物治療についての記述はこれに比べると遥かに少ない。当時は現在のような金属製の鍼(はり)ではなく、石や木片、動物や魚の骨などで作られた鍼(はり)が用いられていたと思われ、灸もヨモギ(艾葉)で作る艾(もぐさ)によるもの(艾灸)がこの頃完成していたようである。

「内経」は「素問」「霊枢」からなるが、「素問 異法方宜論篇」には、中国の各地で異なる医療体系ができあがり、石に乏石(石でできた針のこと。外科的療法)は東方から、毒・薬(薬物療法)は西方から、艾灸(灸療法)は北方から、九鍼(鍼療法)は南方から伝わり、導引・按足に喬(あんま・マッサージ療法)は中央から、それぞれ全国へ広がって行ったとある。つまり鍼は南方で、灸は北方で誕生したと書いてある。「素問」は主に医学理論の書である。「霊枢」は鍼灸について詳説している。さらに「難経」が当時の名医・扁鵲によって書かれた。これらの書物は現代にも大きな影響を与えている、というより鍼灸を学ぶものの必修書となっている。

ところで、鍼(はり)はかなりの知識と思考と熟練を必要とする医療であるが、灸は鍼(はり)よりも技術を必要としない、比較的簡単な治療手段である。したがって、灸はかなり早い時期から民間療養としても広まっていた可能性がある。実際に「素問」「霊枢」には鍼(はり)の記載は多いが、灸については少ない。「難経」に至っては灸は登場しない。

晋代

時代が下り、晋の皇甫謐は「素問」「霊枢」などを編集して「黄帝三部鍼灸甲乙経」(鍼灸甲乙経)を著し、これも現代の鍼灸におけるバイブルのひとつである。経穴の数、名称も整えられ、基礎理論、取穴法、刺入技術、適応と禁忌など、この時期にすでに幅広く詳しい記述がある。同じく晋の葛洪は「肘後備急方」を著し、灸法を中心に記述した。

唐代、宋代、金・元代、明代

唐代には孫思貌にしんにょう「備急千金要方」を著し、鍼灸以外にも幅広い療法をまとめている。王燾は「外台秘要」を表し、灸について記述した。宋代には「銅人月に兪穴鍼灸図経」が王惟一により書かれた。金・元時代には中国医学が興隆し、滑寿(滑伯仁)が「十四経発揮」や「難経本義」を著した。明代にはさらに発展を見せ、楊継洲の「鍼灸大成」、高武の「鍼灸聚英」、李時珍の「奇経八脈考」などが書かれている。

現代

以後、最近になるまで目立った発展はなかったが、20世紀後半になり、伝統医学を抑圧していた文化大革命が終了すると、それまで地下に潜行していた中国伝統医学に光が当てられ、国レベルで復興がなされるようになった。全国に中医薬大学が建てられるなど、教育研究も営々と進められている。また、1970年代初めに行われた鍼麻酔による手術が世界的に注目され、鍼(はり)の臨床効果が画像とともに一気に世界中に伝えられたことも記憶に新しい。

実はごく最近まで、中国の医師にはきちんとした国家認定制度がなかった。例えばベテラン医師(老中医)に弟子入りして修行するだけでも医師としてやっていくことができた。したがって、医師のレベルも様々で、大学を出たものから中高卒のものまでいた。医師レベルの底上げと全体のレベルアップのため、1999 年に中国国家中医師資格認定制度が開始され、政府機関により行われる国家試験による認定が始まったばかりである。医師の資格には現在、西医(一般の西洋医学を行う医師)、中医(伝統治療を行う医師)、中西結合医(両方を扱う)の3種類がある。

国際中医師能力認定制度というものもある。世界各地にいる鍼灸師を始めとする中医薬関係の医療従事者に、客観的な技能・能力の評価を与えると同時に、一定のレベルに満たない類似医療者との差別化を進め、中医学のレベルを維持し、中医学への偏見をなくす意義で設けられた。1991年に中国政府が世界保健機構(WHO)の援助を受けて認定がスタートした。世界各地で、中国語以外の言語でも受験可能である。

ところが、中高卒レベルで主に農村地区の医療を担う「医士」もいて、依然として医療者のレベルがばらばらである。このほか、少数民族独自の医療体系もあり、現時点では経過措置としてころえらが並立している状況である。

全国の中医薬大学においては、統一教材を用いた教育も始まっている。これは一般の西医を養成する医科大学とは別の組織である。そこには、中医学部、鍼灸学部、中薬学部などがあり(修行年限は7年)、鍼灸は湯液と並立している。

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